サンドイッチ伯爵は賭博場でサンドイッチを食べていたか第二段
軽食の名称にかかわる都市伝説
イギリスの政治上のスキャンダル
なぜサンドイッチ伯爵(1718-1793)が賭博のときにサンドイッチを食べたらいけない?
当時の植民地であるアメリカを共和制つまり王制であるイギリスから独立させようという思想にくみすることとなるから
それは海軍卿として独立思想(共和制つまりTHOMAS PAINE派)に対抗しなければいけない立場だったサンドイッチ伯爵ことJOHN MONTAGUにとっては野党というか政敵に攻撃される隙を与えてしまう
なぜか?
それは前にもふれたJOHN KING (こと本名JACOB REY1753-1824)なる人物がフランスと往来していて共和制思想をイギリスに持ち込んでイギリス貴族に取り入って金貸しなどの事業をやっていた(前にフランス出身でといったがsephardic jewらしい)
その出資者の一人がLORD FALKLANDでファロテーブルを自らディーリングしていたほどのギャンブル好きの貴族でサンドイッチ伯爵も関係してるというのが前回までの話(むりくりにこじつけたわけだが)
ようはサンドイッチ伯爵を政治的に失脚させるには共和制思想のひとたちと関係してると思わせる印象操作をすればよいわけ
噂を流したのはそれが狙いだったわけだ
伯爵が[公共の賭博場でゲームに夢中になる]とは政治上の堕落や汚職またはJOHN KINGのようなひとたちと裏で繋がってるということをほのめかす
驚くのは関係者がみなフリーメイスンかそれの関係者っぽい
フランス革命やアメリカの独立が[free-mason思想]からでたという
(竹下節子『フリーメイスンーもう一つの近代史』参照)
啓蒙思想に自由思想と政体
ヨーロッパに遊学した伯爵が当時どのような思想を持っていたかは不明だがフリーメイスンのそうした思想を裏では共有していたのかもしれんし
(ちなみにMONTAGU一族のなかには1721年にfreemasonの憲章を作らせたgrandmasterがいる )
伯爵が地獄の火クラブなどの秘密結社と関係してるとの疑いがあるとマズイのと同じだ
昔ハマコーがラスベガスで大金をすったのも裏ではロッキードの金が還流してるんじゃないかと
スキャンダルになったけどおなじような。
経緯
1721 JOHN M.2nd DUKE OF MONTAGU(1690-1749)が貴族のgrand masterとしてfree masonの憲章を作らせた(実際に起草したのはスコットランド長老派の牧師ジェームスアンダーソンであった)
1762サンドイッチ伯爵が公衆の賭博場でサンドイッチなる食べ物を発明したとLondonで噂になるとフランス人の旅行家が書き残す(フランス人の旅行家というのが意味ありげ)
1763七年戦争の終結とパリ条約でのイギリスフランス間のアメリカ東海岸権益のフランス領がイギリスの領有となる
1773ボストンティーパーティ起こる
1775アメリカ独立戦争とアメリカ独立宣言1776
-1781アメリカ独立戦争終結
1782サンドイッチ伯爵政界引退
1784 アメリカ初の黒人のフリーメイソンロッジであるPRINCE HALL FREEMASONRYがボストンで承認される
1789フランス革命起こる
1790c faro ladies の騒動起こる
1793サンドイッチ伯爵死去
1820c W.CROCKFORD のギャンブリングクラブができる(文献のなかには伯爵がクロックフォーズのクラブで賭博をやっていたとあるが明らかに時代が違う)
なお近代史のなかのfree masonは組織の名称はFREEMASONRY でその正員はフリーメイスン
しかし相変わらず[公衆の賭博場]というのが引っ掛かるけど、秘密クラブとか仲間内のクラブでは少しセンスが違うような?要追跡調査か?